History 代目社長のヒストリー

あしたのために。

~ 挫折と葛藤から夢実現へ向けて~

エヌサイン代表取締役

西森 晃 41歳(令和元年)

1978年 / 0歳 両親が西森看板設立>

設立は私が生まれた4ヶ月後にしている

プロフィール
4男

小学生高学年の頃より、会社が休みのとき友達を連れてきてカッティングシートを加工してお金をもらっていました。ザ・ブルーハーツとかプリンセス・プリンセス等の好きなバンドを自転車に貼って遊んでいました。

兄は全員大学に行っている。
長男は大学卒業後、エヌサインの後継者として両親と共に働いていた。

私は将来は兄を支える専務になることを意識していた。

1996年 / 18歳 西森看板入社>

父を尊敬

面白い。人気者。お父さんには世話になったと
今でも言われる。

兄を慕う。憧れの存在。
バク転。小学生でパソコンを大人に教えるなど新聞に取り上げられていた。
高校や車を真似ていた。
家業以外考えられない。

学生の頃、よく言われたのが
実家が金持ちでいいね。就職先が決まっていていいね。
違う!そうじゃない。

看板の仕事は好きだからやっているんだ。
負い目や義理だけで仕事をしているわけじゃない。
お客様と作り上げていく看板の仕事は企画や完成したときの
充実感がわりと好きなんだ。

2000年 / 22歳 西森看板離職>

当社が手がけたネオン看板から出火!
実家では自分の成長が少ない。
誰も仕事を教えてくれない。
両親が甘やかしている。
年配の社員にバカにされ、私は家業じゃなくても働ける!
東京で修行したいと思う。期間は自分で10年という設定をした。

上京で学んだこと
2000年 / 22歳単身で上京>

建築とサインデザインが街の日常に混ざり合う大都市。
地元と比較してもしょうがない事であるが、
予算のかけ方、スケール、高いビジョンを持つデザイナーと
クライアントのモチベーション。
日本と世界のミックスカルチャーな街づくり。

「東京」という都市だからできる表現の看板サイン。
看板集客は目立つ事の奥にある面白さ、技術の見せ方、スピード感でワクワクさせる。
クリエイティブな世界を見る側と創る側に立ち、デザイン感性を磨いた。

仕事は若いから何とかついていけたが体力、精神力は限界にきていた。
仲間は病気なったり事故を起こしたりと会社はいつもピリピリしていた。
(長時間労働、パワハラ、暴力、うつ病)

働く仲間を不幸にするような会社は存在してはならない。
しかしきれいごとだけも駄目だ。

地方出身者が学歴も資格やコネも無い状態から、東京で仕事も楽しくプライベートも充実するほど稼ぐのはハードルが高いと痛感。ましては2000万の老後のための貯金は非現実的だ。

上京への夢、目的はある程度達成した。
電気工事士の資格も取らせてもらった。
工事の知識。都心に本社をもつ看板店勤務により、
都市部におけるサイン製作会社の役割を学んだ。
東京の経営者の力強さ。エネルギー。経営者とは自分から見てほど遠い世界。
敵わない。
生涯人に使われるのが自分の人生。

2010年 / 32歳で島根へUターン>

Uターンで失敗の連続

自信とエネルギーに満ちていたので。
東京で覚えたことをしたい。
社員との衝突。怒ってばかり。

課題解決の為に革新を試みる。
2010年 / 32歳で社名変更西森看板からエヌサインへ>

社名変更
人は、会社はだらしない。
組織の機能がない。
利益重視の経営。社員への愛もなかった。東京では当たり前だと思っていたことがまったく通じない。

どうすればいいのか?

2012年 / 34歳社長になる<二人目の後継者である兄は離職>

兄は大学卒業後、順風満帆に後継者になるために育てられてきたように思えた。
仲間作り、経営、仕事の勉強をさせてもらっていたはずが
両親と折り合いがつかず一方的に会社を出ていった。
誰かとベンチャーの企業でも作るのかと思っていた矢先に
同じエリアで同業種で起業される。

私は会社の借金3000万を背負うことになる。

兄はエヌサインを「下請けで安く使っちゃるわ。」と言っていた。
何度か仕事をさせてもらったが、エヌサインは下請け(薄利多売)としてのポテンシャルがない。人も離れていったし無理だった。利益が出ない、施工後は「お前んとこは仕事が遅い」と言われ今後早くなる要素もなかった。

今でも相見積でバッティングしてしまう。競わないでよい戦略はないのか。

右肩下がりの経営
父は闘病で入退院の繰り返し、車椅子生活。
母は看病でつきっきり。
両親は仕事から離れていた。

選択の余地はない。
34歳で経営者になる。
事業継承の準備ゼロ年。
経営の勉強ゼロ年。
仲間、従業員ゼロ人

2015年 / 37歳まり子さんと結婚>

妻との出会いで精神的にも救われるも迷惑かけっぱなし
待望の子供に恵まれる。
2人目は経済的にむずかしい。

借金は膨らむ

妻のお父さん
次男
金融機関
<家族会議>
母は土地建物を売って解散をすすめる。

曲がりなりにも看板の世界で生きてきたからには…
いまさら中途半端なかたちで諦めるだの仕事をやめたいだのとは言えねえんだよ。

2016年 / 38歳経営者会入会>

兄が薦めてくれた
経営者会入会
会社は厳しい状態
何からしたらよいのかわからなくなっていた。迷走していたところ、
「俺は経営者会やめたけど、入ってみたら。いい会だよ。」

堕ちるだけ堕ちた、あとは登るだけ…。
何故私がいつのまにか経営者となってしまったのか。

若い時、自分には人の上に立つなんて無理。
こんなはずじゃなかった。

2016年 / 38歳娘の誕生と父との別れ>

私に会社を継がせたいと思っていたそうだ。
そして父は私を一番可愛がってくれていた。
末っ子というのもある、勉強もできないほうだったから。
結婚を心配してずっと気にかけてくれていました。

父は娘と食事をするときはデレデレして、喜んでくれていました。
父に孫を会わせるのが最後の親孝行となります。2代目というのは創業者を超えられない。
意思は引き継いだものの、なんで私が社長なんだ。
若いときから素質がないことは理解していたのに。

ハガキ紹介>

経営塾で訪問した企業
感銘をうけたハガキを紹介

どのような出会いであれ
直接ビジネスに関係なくても相手を思いやる愛

感謝の心

経営者としての覚悟を決める
都会の真似を辞めて
父の真似をするようになってきた
両親に育ててもらった恩を返していく。

人から学ぶ機会が増える。
人を活かす経営。

人を大切にする経営。
人のためにつくす
家族との時間をつくる働き方改革。
お金だけじゃない人が集まる会社
社員は家族

私は学び会社を見直し、
あしたのために 良い経営者になります!

導いてくれた兄 父 妻、各組織団体の方々へ感謝しています。
私は社員のハッピーを追求し、出雲市から地域がもっと洗練されていく看板
サインの研究と提供を続けていきます。
ここまでお読みいただきありがとうございます。